オルト公開レクチャー006&ワークショップ終了
昨日、無事に湯浅永麻さんの公開レクチャー&ワークショップを終えました。
以下、オルトのFBページより。
>2019年度初回のオルト公開企画では、十日町市松之山地区のやまきわ美術館と連携し、オランダを拠点に世界各地で活躍しているダンサー・振付家の湯浅永麻さんをお招きしました。7月6日〜11日まで6日間にわたる滞在期間中に実施した、ダンス・ワークショップ及びアフタートークの様子をご紹介します。 湯浅さんはモナコのバレエスクールを卒業後、11年間オランダを拠点とするネザーランド・ダンスシアターに所属し、ヨーロッパを中心に世界各地でコンテンポラリーダンスを披露してきました。フリーに転身後は、美術家やピアニスト、能の舞い手など、様々な分野の方とコラボレーションしながら、新たな表現を探究なさっています。 こうした公演は、身体的研鑽を積み、イメージを具現化するプロの技に基づく作品として、私たちとは異なる舞台にあるかに見えます。一方で、表現のベースとなる身体の動かし方や作法は、土地土地の風土や暮らし方と密接に結びついており、良し悪しやマナー・美醜として価値判断にもつながります。「身体と語る 身体で語らう」と題する本企画では、生きてきた環境や重ねた年月、暮らしむきの異なる方々が共に集い、ふだん当たり前となっている型を問い直す機会として、4日間のワークショップを実施することにしました。 ワークショップには、やまきわ美術館のある上鰕池集落をはじめ、市内外から各回15〜20名ほどが集まりました。ダンススクールに通う小学生や田畑をかまう80代のお年寄り、禅寺の住職さん、韓国から嫁いで近隣集落に暮らす方、パフォーマンスを含む作品制作に携わる現代美術作家など、顔ぶれはさまざまです。 「まずは床に寝そべって、背中、腕、手足全体でこのやまきわ美術館を感じてみましょう。」「大きく息をすって、お腹を高くつきあげて、そうしたら、ふうーーっと声を出しながら息をはいて、ゆっくりゆっくり身体が床に沈みこんでいきます。」湯浅さんは一人一人の身体にそっと触れては声をかけ、軽やかに場を泳いでゆきます。「もう少し動きを大きく」「目は閉じないで、手の動きに目線を合わせて、柱、梁、天井、窓、いろんな所をたどってみましょう。」「今度はナメクジになった手の動きに、身体全体がついていきますよ。」湯浅さんの言葉と、会場を静かに包み込む音楽に導かれながら、参加した皆さんは、自身の身体やその動きにだんだんと意識を傾けていきました。小一時間ほど全身を動かした後のお茶飲みでは、「なんだか身体が軽くなったみたい」「ふだん背中ぎゅうっと丸めて仕事してるから、のびのびした」「気分がすっきりした」「部屋や家全体が感じられて面白かった」「先生の動きがほんとにきれい」など、それぞれに感じたことをしばし語り合いました。 午後のやわらかな日差しのもとで行った3日間と異なり、7月10日は黄昏どきにスタート。神棚や梁上・床の間など、部屋のそこかしこでゆらめく蠟燭の灯りと、次第に深みを増してゆく闇に包まれながらのワークショップとなりました。互いの顔は見えなくなり、自分の足裏や背中・腕や指先の感覚は、数々の身体のシルエットとその動き、ほのかな光に照らされる畳の目地や襖・漆喰の白壁と呼応しながら、ほどけては結び、結んではほどけていきました。音の波が静かにひいてパッと電気がついた瞬間、急に世界に引き戻されたかのような不思議な面持ちでいっぱいの会場の様子があらわになりました。 アフタートークの冒頭、湯浅さんは「身体の可動域が広いダンサーと違って、皆さんが大きく動くには時間がかかると思っていたんですが、少しガイドするだけですぐに身体が反応して動けていた」と驚きを口にしました。「かたちやフォームがない、それを求めていないからこそ、身体の浸透率が高いんだと思う」とのこと。 湯浅さんは滞在中、草木や山・川・温泉を見て感じ触れながら、一見動きのない植物が太陽や風に順応して日々姿をかえていくように、人間の身体も自然もエネルギーは常に動いている、ということを強く意識するようになったと言います。「自分で能動的に動くことより、外的な刺激に動かされながら生きること、何かに抗っていないことが、想像(創造)の源になるのではないか」との言葉は、多くの人に響いたようでした。 一方で湯浅さんは、国籍や宗教・セクシャリティの異なる方々と、共同作業としてダンスをつくりあげていく過程では、相手の思い通りに振る舞うことより、むしろ互いの意識や考え方の違いをぶつけあうことで、深い作品が生まれると指摘します。「どのように考えの違う人たちがお互い柔軟に寛容に共存していけるのか、一緒にものを作ったり生きていくことができるのかは、私のテーマです。」争いを避けるより向き合うこと、向き合い続ける中で起きる衝突とうまく折り合いをつけられるよう、互いに納得できるまでぶつかり合うことの大切さは、ダンスに限らず全てのものごとに通じると強調されていました。 一般的に観客の存在を前提に定義されるダンスが、歴史をひもとけば「自分のために踊るもの」であったことをふまえ、湯浅さんは「自分のうちに向かって身体を動かすことに立ち返りたい」と言います。「絵画や音楽など様々な芸術カテゴリーがある中で、ダンスは一番歴史が古い。生まれた瞬間に私達は動いていて、それ自体がすでにダンスである」との恩師(ネザーランド・ダンスシアターのチェコ人振付け師イリ・キリアン氏)の考え方に、深く共鳴しているとのことでした。しかし、ただ身体を動かせばよいということではありません。「何らかの縛りがなければ自由が存在しえないように、自分の中に縛りとなるイメージをもって、それを守ったり壊したりしながら動くこと」で、即興的な身体表現も初めて成立するのだそうです。 「先週、10年前に視力を失った女性と、お互い問答しながら身体の動かし方につなげていくワークショップをやりました。ダンサーかダンサーでないか、目が見えるか見えないか、そうした違いを人それぞれの特徴のひとつと捉えて、思考の面でもいろんな壁を取り払いながら、彼女とかたちにしていきたい。」互いの違いに向き合い続けながら、言葉や動きをコミュニケ−ション手段に、新たな表現をかたちにする湯浅さんの旅路は、これからも続きます。 今回ワークショップ会場となった美術館の広間には、イギリスを拠点に活動するアーティストデュオ、ハンチン(中国出身)&モナ(韓国出身)の作品が展示されていました。自然が建造物と結びつくことで人工的に変容し、ふたたび人の作る建造物が自然によって支配されていく在りさまを問うインスタレーションは、湯浅さんとの話し合いの末、ワークショップのあいだ一時的に撤去され、トークのあと再び設置・公開される運びとなりました。風雨や雪から身を守り、人の集う広間は、その営みに応じて姿を変えてゆくものです。アーティスト同士、表現の違いに向き合い、ワークショップの場からインスタレーション空間へとかたちを変えゆく広間の様子は、互いのテーマが呼応する新たな表現の在り様にも感じられました。 湯浅さんのホームステイを快く受け入れ、交流会のおいしい料理の数々をご用意くださった上鰕池のみなさま、ワークショップにお集りくださったみなさま、面白がって企画に協力してくれたハンチン&モナ、そして企画運営に尽力いただいたやまきわ美術館さん、本当にありがとうございました。※本企画は、NPO法人市民活動ネットワークひとサポの「とおかまち市民活動助成金」を受け実施いたしました。企画へのご理解ご協力のほど、一同より御礼申し上げます。
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